質問5.どのような夢主の作品を好みますか?
5.どのような夢主の作品を好みますか?
性格、外見共に定まっている 81 36.5%
- しっかり設定がある方が世界に入り込める。
- そのほうがこちらとして夢主を想像し易いからです
私としてはその作品に合っている設定であれば、最低限の性格と外見の描写で構いません
- どのような髪型なのか、服が好みなのか(スカートが好きか、パンツが好きか等)でも性格が表れると思うから
- 何度も言いますが、ひとつの物語という認識であり、夢「小説」というからには小説として読みたいからです。外見や性格などが適当にしか描かれていない場合読むことをやめてしまいます。
- 書き手の思い描いた主人公として読みたい為。また逆にそうでは無い作品は余り読みません。
- 新キャラクターやアニメオリジナリティキャラクター、乙女ゲーム化した作品のヒロインキャラクターのノリで楽しむから。
- 人物像がつかみやすい、とっつきやすいと感じます。
- 性格はたまーに地雷があったりするので決まっててなおかつ設定ページに書かれてれば嬉しいです。
外見は、私の場合文章を読む時は頭の中でアニメのように映像化しながら読むので、むしろ定まっていた方がありがたいです。
- 性格外見伏せたままでつつがなく進行するならそれでもいいと思いますが、こまかく決まっていた方が話に厚みが出そう…な気がします。
- 設定詳細を見たりするのが好きだから。
細かく決められている方が作品的によくできている気がする。
でも作品内でそういう描写が過剰だと夢小説の意味がないとも思う。
- 脳内でアニメとして動くので、想像しやすいから。
- 夢主=自分ではなく、夢主=その方が作られたオリジナルキャラクターとして見ているから
- 夢主がキャラとして立っていると、夢主への興味も深まるので
- 夢主の内外描写はキャラに与える印象とか心情を強くさせると思う。さらに欲を言えば、心境描写は一般人でも理解できるものがほしい。感情移入、または少しでも自己投影ができなければ夢小説じゃなくてもいいと思う。
- 夢主をオリキャラとして見ているため
- 夢書きさんによって夢主人公の個性が違うのが楽しいので、どんなキャラクターか記載がある方が好きです。
性格、外見共に定まっている,性格、外見共に定まっていない(どちらもほぼ描写されない)
- 作品にもよりますが、強烈な設定の場合は細部まで決まっている方が好きです。
日常系などの作品の場合は決まっていない方が読みやすいです
- 夢主の設定で読むか読まないかは決めない。文章が面白ければ読む
性格のみ定まっている(性格は個性的だが外見描写はない) 108 48.6%
- 『夢主のことが好きだな、この人なら原作の人物が好ましいと思っても理解できるな』という風に感じたいので、性格はある程度固まっている方が好みです。ただ外見は勝手に想像しているので描写はあまりないほうがいいな、と。ただし、物語に密接に関わってくるのであればこの限りではありません(象徴的な瞳の色などを書く等)。また、相対的な身長の比較や、性差の出る部分(手など)についてなどは具体的な外見身体描写として含んでいないものとします。
- ストーリーが面白ければいいので。
夢主の外見が決まっていようが、決まってなかろうが、性格だけはパキッと決まっていればキャラクターとして認識できる。逆に性格が定まっていないとキャラクターに感情移入もできないし、面白さは半減してしまう。
- 外見などは小説を読み進めていき性格や言動などでイメージするものを当てはめればいいため。
- 外見の絵は大体下手だから。
- 外見はわりと自由に自分の中でイメージするのが好きなのですが、個性・性格は確定していた方がストーリーを読みやすく感じます。
私の場合キャラクターとの恋愛よりもキャラクターとの関係を築く過程もしくはキャラクターとの人間関係を重視するのでここに個性や性格がかけるとストーリーがほぼなりたたなくなるので・・・・・・基本的には性格が決まっている方がするすると読めます。
ただその日の気分によるところもあるので、あまりえり好みしないといえばえり好みせずにどの話も好みます。
- 外見描写は特に求めていないがあっても構わない。ある程度の性格の描写がないと夢主に共感できないので心情の移り変わりなどの根拠を明確にするためにも、性格の描写はしてほしい。
- 敢えて上げるなら性格のみです。
ただ、定まっている書き手さんの方が描写が上手なので外見が定まっていても気にしません(性格が好みなら)
- 自分のオリキャラをイメージできるから
- 自分自身背が高いので、「背が小さい女の子」というような描写があると読む気がなくなるので性格面だけ書いてあればいい
- 書き手の中で夢主の個性が一から十まで決まっているのは構わないが、読むときは出来る限り身体描写がない方が好ましい。
- 小説を読む際に自分で外見を想像したいから
- 性格がある程度しっかりしていないと小説として読めない。理解できない。
外見表現はあれば登場人物の想像の役に立つが、別になくてもいい。
- 性格は夢主の個性なので、あったほうが面白いから。
外見はトリップ主であれば、黒髪に黒い瞳をもつ日本人女性の一般的な外見を好みますが、現地主であれば、外見は描写があってもなくてもあまり気にはなりません
- 描写があっても脳内で映像再生しないから。
- 夢かそうでないかに関わらず、不必要な外見描写の羅列は好きではありません。例「覚悟の証として、彼女は長い髪をバッサリと切り落とした」のような場面がのちに出るので、それ以前から伏線を張る、などなら理解します。
性格のみ定まっている(性格は個性的だが外見描写はない),性格、外見共に定まっていない(どちらもほぼ描写されない)
- どっちにしても面白ければいいやということもありますが、基本的に外見や容姿やバックボーンを書き連ねられると読む気力が失せるので
- 外見まで決まってると他人の話を聞かされてるような…むしろ夢小説というより公式で出てくるキャラとのカップリング小説を読んでいる気になる。 同じ場合でも、先に夢主の設定を詳しく知っていたり、知人宅の夢主さん、と言った感じだとより細かく描写されている方が楽しめる
- 基本的にはどちらも明確に定まってないものが好みですが、自分がイメージする性格と合致しているならば性格のみ固定でも構いません。
でも、容姿が決まっているものが嫌いというわけでもないです。
設定画などはスルーする可能性が高いですが……
- 基本的には種類にとらわれず読みます。ですが前述の通り自分の中で外見を決めて読むことが主流なので、外見までがっつり決まっていると自分の思い描く像との違いがどうしても生じるため、他の二つの項目と比べると好きまでいかないのかもしれないです。ただ、ケースバイケースと言ってしまうとそれまでですが、例えば夢主がどうして髪を黒く染めざるを得なかったのかその経過と理由がきちんと作中描写されていて、かつ納得できるものである場合にはある程度の外見が決まっていても楽しめるので全てに当てはまると言うわけではないです。
- 個人的な好みなのですが、外見から身長体重まで(オリキャラの域に組み込まれるほど)非常に細かく設定されているヒロインは苦手です。
- 細かく設定されているのは好きではありません
せいぜい、大人しく泣き虫、とか勝ち気、とか大体の設定くらいが好きです。
個人的に夢小説は、作者のオリジナルキャラが読みたいのではなく、夢主を相手にしているキャラが読みたいので
- 自己投影する場合、あきらかに自分とかき離れている外見や性格では感情移入をしにくいし、第三者目線から見ていたい場合でも、自分の中で薄っすらと抱いているキャラの恋人のイメージ(あるきゃらもいればそれが知りたくて読むキャラもいる)と合うとは限らないので、できれば設定をガチガチに決められていない方が入りこみやすい
- 偏見かもしれませんが、設定が作り込まれているものには感情移入(自己投影ではなく)しにくいものが多い気がするので、敬遠してしまいます。
性格のみ定まっている(性格は個性的だが外見描写はない),性格、外見共に定まっている
- イメージが簡単だから
- キャラが思わず惹かれるような内面を持った夢主が好みだからです。夢「小説」として読むならば、キャラの魅力の描写はもちろん、お相手と精神的な意味で対等に渡り合える子である方が好きです。
- 設定が濃すぎる夢主(スポーツものであれば負けなしとか最強とか)
現実離れしすぎていると少し苦手かな、と思います。
夢主さんは人間でいてほしい(笑)
- 外見の描写はあってもなくても。ただ性格だけはしっかりあるものが大変好みです。夢主の性格が見えてことないと、どうしてストーリーがそう進むのか理解できなくて気持ちが寄り添えない
- 外見は定まってても定まってなくてもよいが、性格は書き手の文章の活かし方だと思うので。どんな性格でも、そのような性格の自分になると思って読みます。
- 外見設定がストーリー展開と関係するなら、どれだけ外見が固定化されていようが抵抗はない
- 世界観が破綻してなければどんなものでも好みます。キャラの性格なお話の内容もいいバランスと感じるのなら盛っている内容でも好みに分類します。流石に最強キャラだったり、キャラをないがしろにするようなバランスブレイカーは論外ですが(笑)
- 性格くらい決まっていないと作品として面白くないと思うから。
- 性格のない夢主での小説はつまらないことが多いから
- 特に好みはない。どちらにしても想像しながら読む。
- 読むときの意識が普通の「小説」とあまり違わないので、夢主もキャラが立っているほうが読みやすい。
- 連載ものが好きなので夢主に個性がないと面白くない。夢主に感情移入して読みたい。
性格のみ定まっている(性格は個性的だが外見描写はない),性格、外見共に定まっている,性格、外見共に定まっていない(どちらもほぼ描写されない)
- 外見や性格が決まっててもあんまり関係なく読む
- キャラ×夢主(設定などが細かく決まっている)は、夢小説というよりカップリング小説のような気持ちで読んでいるので、細くてもそれで楽しめます。
- これも気分です。
外見が受け入れれる範疇だと普通によみますが、奇抜すぎるとそっと窓を閉じます。
- メアリースーだけは避けています
- どれも想像しやすいから
- なんでもよむし好きです。
- 感情移入できれば何でもよい。ただ感情移入しやすいのが定まっていない方ではある。設定が固まり過ぎているものだと感情移入しにくい時は多々ある。
- 世界観に合っていて文章が読みやすく、面白ければわりとなんでもいいです。個性的すぎると自己投影し辛いという意見も分かるし、個性がなければ何故そのキャラクターと一定の関係を築けるのかに説得力が無いという意見も分かる感じ。
- 性格や外見が定まっていても「この世界の私はこうなんだな」と思うので別に良いです。
- 全部好きです。ただ、苦手な設定はありますのでその場合は読まなかったりします。
- 第三者視点が最近は面白いので(NOT勘違いもの)、そういったものでは性格や外見が決まっていることには問題なく読み進められます。
夢主のトラウマとかただの身体的特徴はほどほどが良いです。
- 夢主についてこだわりは無く、面白ければよい。
- 夢主の性格よりは話の内容・傾向で好き嫌い決まります
- ある程度の長編の場合は主人公の人物像が定まっていないとかえって不自然に感じる事もあるので、性格・外見・得意な事不得意な事・思考パターンを裏付けるようなバックボーン設定等、ひとりのキャラクターとしてしっかりと確立していた方が好みです。この場合は「夢主=オリキャラ」として読んでいると思います。
一話簡潔でキャラクターとの絡み部分をメインに書かれている場合は、性格や外見は読み手側で自由に想定できる方が好みです。
感情移入型の人が自分はショートカットなのに「長い髪を」という表現にがっかりする事もあるというのを見て、なるほどなと思いました。
性格、外見共に定まっていない(どちらもほぼ描写されない) 80 36%
- あまりこだわりはありませんが、強いて言えば予め「これ!」という設定を掲示されていない方が好みです。
- キャラが女の子と絡んだ時どんな対応をするかを楽しみたいので、夢主の詳細は求めていない
- キャラクターの動作・仕草・言動に萌えを追求しているので基本夢主の性格・容姿は必要としていない為
- なんとなく自分の中で夢主のキャラクターがぼんやりと出来上がっていて、それに当てはめながら楽しむ方が楽だから。
- ブルーの髪に翡翠の目、なんて言われてもこれ私じゃない(笑)ってなってそこで終わってしまう。
- 一番上と迷ったが、自分が一番好きなのは三番目。夢主が細かく設定されてるとオリジナル小説を読んでいるような気がするので。あと、やたら能力が高いとか銀髪とか目の色とか変わってるのがいるが、そんな人間なかなか居ないのでイマイチピンと来ないから
- 外見があまりにも現実離れしてる(その原作の世界観にあってない)容姿、過美表現(超絶美人、十人が十人振り返る、キスしたくなるぽってりした唇、見つめられると魅了される瞳、等々)、又性格については厨二病だったりするものには嫌悪感があるので、やんわり定まっている程度でちょうど良い
- 固定化された設定が多すぎると「私」になり得ないし単なるオリキャラとして捉えてしまうから
- 固定夢主が苦手だからです。
- 自己投影志向が強いので、性格や外見が定まっていてかつ自分とかけ離れていたりすると感情移入しづらいからです。
- 主人公=読み手だと思っているので。
- 多少の性格の個性は問題ないけれど感情移入しづらいほどの個性の夢主は敬遠してしまう。特に自分は本名を入れて読むことが多いので、性格のきつすぎる夢主だとまるで自分が嫌な奴として描かれているように感じてしまうことも。
- 定まっていても楽しく読みますが、できるだけ描写が少ない方が、すっきりと読むことができるので好みです。
- 苗字名前ちゃんとはそういう女の子なのです!!!!と言い張ってもいいのですが、何百も何千もある夢小説の夢主設定を一々覚えられるわけありませんので結果的にそうなってしまいました……。
あとは私がうちの子、という認識が嫌いということもあります。
- 夢小説を読んでいく上で徐々に夢主の性格が判明していく作品を好みます。
ありがちな天然夢主は飽きました。
夢主は読む人によって性格と外見が違うので
あらかじめ性格と外見が定まっていると、夢がない。
その他 32 14.4%
- あまり気にしない
あまりに詳細な設定があると面倒。
あと設定があっても、話に支障がなければ設定について書かれている所は読まないので。
定まっていてもいなくても同じかな、と。
- ケースバイケース
夢小説に萌えを求めている時は、自己投影が出来る、共感できる性格で、突飛な外見でない夢主が好ましいです。
- すべて
完全にオリジナルキャラクターとして夢主を捉えているので、外見や性格の描写があればあったで良いし、なければ無いで良い。
- とくになし
よくよく思い返すと最近は自給自足ばかりで読みに行ってないのでなんとも言えない。
読み手として読んでいて楽しい・面白い、と感じる部分の多くは、展開・地の文の描写・キャラとのやり取り等、なのでそこまで夢主を意識していないとも言える。
- どちらでも
あまりにも設定がないと物足りない気がするけど、それでも内容によっては楽しめるからいいと思う
- なんでも
雑食です
- ほとんど気にしない
特に気にせず、一人称が違っても頭の中で変換ちゃうから
- 割となんでも
面白ければ設定はなんでも良いです。
- 雑食
自分のオリジナルキャラクターとして読むので外見は定まっていない方が読みやすいが、そこまで気にならないから。
- 軸がある
作品の好き嫌いを左右するのは夢主より「話が分かるか分からないか」「好みかそうでないか」なので、夢主が好み=作品が好みにはなりません。が、強いていうなら軸のしっかりしている夢主の作品が好きです。
作中で理由が出ないまま、突然少し前に言っていたのと正反対の発言をしたり、そういったブレがある(ブレの激しい)夢主は苦手です。
- 性別が決まっていればいい
BLDは読まないため。あと読みたいキャラクターの夢小説が極端に少ない場合が多いので贅沢は言えない、言わない。
- 特に気にしない
自分が感情移入できるかどうかなので。
- 夢主のお話の中での立場優先。
個性描写は割りと好きなほうですが、夢主がキャラと幼なじみ、マネージャーとかの方が好きです。
性格などに関してはお話を読むまではあまり考えていないです。
ただし、あまり特殊なものは好きじゃないので平凡主とかが好きです。
- 夢主の設定の有無に関心が無い
設定があっても楽しめますし、無ければ無いで自分で脳内補完するなど想像をはたらかせられるので楽しいです。
- 作品による
色々な人物の目から世界を楽しめるのが夢小説の醍醐味だと思います。世界観やシチュエーションの凝ったものは特に。
ハグをした、キスをした、のように行動の描写が続いていくような作品は無個性の方が楽しめる気がしています
- 話による
ちょっとしたSSなら性格も外見も特に気にしないけれど、中・長編ならあったほうが読みやすい場合もある。
- その夢作品に必要な描写であればどんな夢主でも
作品に必要のない情報なら蛇足だし、作中でキャラが夢主の髪を褒めたり好きだったりするなどの設定と描写があるのならばどのような夢主でも構わない
- その他項目記載なし
- 夢主の作品というより、書き手の文章で好みが分かれます。どんなに好感の持てそうな夢主でも文章が好きでなければ読むのをやめますし、逆にどんな夢主でも書き手の文章が好きなら好感が持てます。
- あまり気にしたことはありません
- あまり性格・外見ともに設定されていないのが好きですが、作品内で性格や外見が重要な要素になるなら好きです
まったく必要ないのに設定だけ押し出されると好みではなくなります - 読めればどんな夢小説でも構わない。夢主の設定が膨大でも名前変換だけでも読める文章で書いてあるなら面白い。
質問7.あなたにとって、キャラとモブの小説は夢小説ですか?
7.あなたにとって、キャラとモブの小説は夢小説ですか?
名前変換があるなら夢小説 105 47.3%
- 『名前変換』あっての夢小説だと考えるが、変換機能がなくとも『こんなの夢小説ではない!』と否定する気はない。自己投影する、しないは書き手の描写によって異なる。原作を元にしたオリジナルストーリー、又はキャラ×モブのカップリング小説と考える
- 1番目を選択しましたが、これは正直読んでみないと判断しにくいです。
モブ視点で展開され、特定のキャラクターとの辛みが多く、モブからキャラクターに恋愛感情があれば夢小説だと感じるかもしれません。
- 書いてる本人が『夢小説である(名前変換実装済み)』『夢小説ではない』として世に出しているなら、それが答えだと思います。他人がとやかく言うことではないし、『夢小説ではない』としている人のものを「これは夢だ!」と言って『夢とする』のは、『夢小説』という概念に対して大変失礼だと個人的には考えます。好きでもない(もしかしたら嫌いかもしれない)人の作品を自分の好きな創作形態に落としこまれるのははなはだ不本意です。
- 2-aと同じ。(3)
自分がそこにいれば夢であるため夢小説に分類されてもいいと考えるため。
- 名前変換があれば夢小説であると認識します
ただし、夢主の存在意義が薄いと感じますし、夢小説として書く必要性は疑います(名前変換を付けて夢小説にする必要はあったのか?ただの二次創作ではいけなかったのか?と思います)
- アイドルであるキャラクターのファンの視点、などならモブの二次創作小説として読めるが、そのモブが名前変換できる、もしくはある程度の個性があり、キャラクターと大いに関わりが出て来る場合は夢小説であると考える。
- あるなら、やっぱりそれもまた夢小説という認識
- いわゆる「モブキャラ」自体にもキャラ付けがされ、進行とともにそのモブキャラの生活する時間も進んでいくゲームをして以来、その原作で登場した人物であれば一応、一つのキャラクターとして認識しています。
- キャラやストーリーに関わることがなくてもそのキャラやストーリーを作品と同じ世界で見てみたい(キャラの同級生とか、キャラの活躍を新聞で読むとか)という願望(夢)もあるので、、それを叶えてくれて尚且つ名前変換があるなら夢小説であると思える。
- その人との話が読みたくて読んだなら夢だと思う。ただ私はあまり読まない。
- とにかく名前を好きに変換できるのなら、その世界観に潜り込めるきっかけになると思う。
- もともとその世界にいるモブで対して性格が決まっていないのなら、書き手の方次第でどんなキャラにもなるので読んでいて楽しいことが多いような気がします。
あとモブならではの視点での話があったりして面白い。
- モブ=【原作に登場していなくても】作品中どこかに存在するであろう名前・影響力のない端役 の認識です
- モブに何かお話をつけてしまったら、それは二次創作だとは思いますが、全てが夢小説とは言いきれないと考えてます。
もし、名前変換をつけて、キャラと何かしらの関係、関わり合いがあるとしたらそれは夢小説だとおもいます。
ただし、モブに名前をつけてしまった時点でモブはモブではなくなってしまっているのではないでしょうか。
- モブに特別原作で名前がないなら夢小説でよいのではないかと
- モブの設定の濃さに関わらず、モブという透明な存在に名前(変換可能)と物語を与えると「夢小説」になるのではと思います。モブがモブのままキャラクターを観察したり、キャラと物語を生み出さない程度のやり取りをするぐらいなら夢とラベリングしなくてもいいんじゃないかな、とか…。それは単純に「モブキャラとのやり取りがあります」の注意書きで終わるような気がします。
- モブはあくまで原作者様が考案した存在であり、夢小説の書き手のオリジナリティーが表れた存在ではないと思うからです。名前を変換する=名前を与える=オリジナル要素、だと考えるので、このように考えました。
- 乙女ゲーム『ときめきメモリアル girl's side』の主人公はほぼ全身のショットがなく、出ても2頭身キャラ。
普通の頭身だと後頭部や手先しか映らない扱いなので、主人公というだけで、ほぼモブと変わらない主人公もいるという認識があるため。
- 原作キャラクター以外は全員モブだと思っています。
夢主も夢小説以外においては単なるモブの一人ですから、夢小説とはモブ小説の名前変換可能バージョンだと考えています。
- 原作に全く関係のない異物をつっこむのが夢小説だと思うので、元々いるキャラとの絡みは夢ではない二次創作になると思います
- 原作に登場しているので。基本的には夢ではないとは思いますが、筆者さんがそのキャラを「夢主」としてあつかっていて、(原作には無い)個性を与えているのであれば夢・・・かなぁ。
- 原作に名前がなくとも原作に登場しているキャラクターの姿・推測できる立場・様子から想像できる行動の場合は原作キャラ二次創作であると思います。
「原作の背景でひとコマ見切れてるこの子」ではなく「原作の世界にひょっとしたら存在するかもしれない人物」がメインキャラと恋愛する場合は、名前変換があるとより夢小説っぽいなと思います。
物語の内容・書き方の話になってしまいますが、固定名で話の中心が原作キャラクターの場合は「モブ視点のキャラクター小説」だと思います。
「名前が変換できる=その世界の構築にほんのわずかでも関与している」という事が「夢」になるのかな?と思いました。
- 個人サイトにある、名前変換がある小説というのが昔からある「夢小説」のイメージです。
- 作者が夢小説だとするなら夢小説で良いと思う。
- 私にとって夢小説は、ロールプレイング小説(?)ですが、いわゆるモブ視点だとかモブ小説と言われるものを夢小説と呼ぶことに違和感もありません。
- 自分にとって夢=自分の意識の混在があるもの、なので、名前変換が出来ないなら夢小説ではない。ただし、乙女ゲームのように公式としてあるものは二次創作の概念で考えてはいけないように思うのでそういったものは例外とする(あくまで夢小説的なものであって、夢小説(二次創作)そのものではないから)
- 初めて読んだ夢小説が名前変換ができるものだったので夢小説=名前変換がある と思っています。
キャラが夢主の名前を出さずに夢主の話題をモブとする(名前変換なし)は、
「夢小説」でも「小説」でもなく「小話」だと思っています。
原作に夢主は出てこないので「小説」だとは思えません。
ギリ夢小説かな・・・そこのところ、判断がグレーです。
- 書いた人が夢だとラベリングしたなら夢だと思います。
- 書き手がそのモブを『原作で「ここは●●の街よ」とだけ言う街の紹介者』というキャラとして扱っていたら恋愛していても夢小説でない。そのモブを『キャラの恋人』として創作していたら夢小説。
- 書き手がモブと提示する存在でも、名前変換があり、読者が名前だけだとしても介入出来るのなら夢だと思いました
ただ、名前変換がない状態で書き手がモブと提示しているものでも、「夢っぽいかも」などと言う文言を添えたらモブ小説とも夢小説とも見ます
- 上記のように名前変換ができれば夢小説だと思います。
しかし、男性向けのようなモブ=自分という感覚(気持ち)もあり、
モブ:自己投影=50:50な気持ちで見ていたりします。
- 深く考えたことがないので分からないです。
- 正直作品による。
モブ個人の情報がほぼなければ夢小説ではない、
モブ個人の情報(好きな食べ物、家族関係などの背景)を掘り下げたら夢主化する、
と考えているから
- 正直夢小説の中にそういうのが同じようにまぎれてても違和感なく楽しめるけど、むしろ好きだけど、境界が曖昧なので名前変換が無いと「他のメインキャラが出てこない時のワンシーン」のようにも感じるのでこの選択で
- 相手のモブに名前変換があろうとなかろうと、夢主が登場し、夢主の名前が変換できれば夢小説だと思ってます。でも相手のモブの名前は変換したくないです。原作で登場する端役キャラにオリジナル設定をつけて登場し、キャラと夢主に絡んでくる時点で、そのキャラはモブではなく立派な一人のキャラ、作者オリジナルキャラクターだと思います。上記の条件で、モブキャラとの恋愛する小説があれば、それは夢小説だと認識してます。
ただし、夢主が出演していない場合は、それは夢小説ではなく、二次創作小説になると認識してます。
夢主×モブ(オリキャラ)の場合に限り夢小説。
- 読むかどうかは別としまして、名前変換があるのならば例え夢主がニートだろうと異世界人だろうと触手だろうと夢小説だと思っています。
- 物語にはモブだって必要
- 夢主とモブって意味であればあり。
- 夢主モブ姦とかやらかす人間なので夢主とモブは区別します。でも夢主はモブの格上、キャラの下というかんじ?
- 夢小説ジャンルに成り代わりがあるし、モブ程度で名前変換が出来るなら普通に夢小説だと思う。
- 夢小説っぽいとは思うかもしれないが名前変換がないなら夢小説ではないと認識する。二次創作者の中で該当モブのキャラクターに対する共通認識ができていて、それにのっとっているなら夢っぽいとも思わない。
- 名前だけでも原作に登場しているなら原作のキャラクターだと考えているのでNL(/BL/GL)カップリングになるが、名前変換=夢小説という認識が強いため。
- 名前と確固たる人格を与えられた時点でそれはモブではないから。
- 名前のでているモブ(あまり活躍しない人、所謂マイナーな人)又は名前はでていないがそれなりに活躍している人(後々名前がでたりする人)なら、名前変換があれば夢小説として受け入れますが、名前もなく活躍もせずただの通行人のような人は、夢小説とは受け入れられません。それはもはやひとつの小説だと思うからです。
夢小説というのは、存在するキャラクターや芸能人に、存在しない(又は兄弟のようにいることは設定としてあるが名前や顔かたちが決まっていない)人をつくって、彼らと関わらせている話だと思っています。
そして、名前変換機能を使うがどうかは個人の自由ですが、そういう機能があるものが夢小説だと思っています。
- 名前を変換できると、自分の中で「理想の自分になる」きっかけになります。一方で名前が変換できないと完全にオリジナルキャラクターとして読みます。なぜそうなるのか、までは深く考えたことがないのですが名前は「誰か」を認識するファクターであり、自分の中で「名前が変えられる」ということが新しい自分になるきっかけなのだと思います。
- 名前変換がある=自分を反映させて見ることもできる(推奨されている)と判断するため
- 名前変換がある時点(読み手が勝手に名付けられる時点)で【原作に無いキャラクター】を創作したような気分になるから
- 名前変換があれば、それは全て夢小説であるし、名前変換という処置を行っている以上、その人は当然夢小説として書いている。
だから、名前変換は「これは夢小説です!」と名乗りを上げる行為なので。
野菜の産地を表記するかのごとく。
夢主は「書き手が書く夢」の「主人公」でしかないから、そもそもモブなのでは?と思っている。夢主モブい。
だからキャラとモブのあらゆる創作物を見ても、その人が「夢」としてつくっていなければ、「あーこれ夢だ!夢!(わたしにとっては)夢だけどー!(この人にとっては)夢じゃなかったー!」となることもしばしば。
- 名前変換がついているなら内容夢主の性別、原作キャラが出てこなかったとしても全て夢小説です(ただし作者注意書きにこれは夢小説ではありません、と書いてあれば夢小説ではないものとして読みます)
- 名前変換が出来るものが夢小説の大前提だと思うので
- 名前変換の有る無しはやっぱり重要だと思います。ただ、書き手がこれは夢小説だと認識してネームレスのお話を書いているのであれば夢小説になるかと。
- 名前変換をした時点で夢小説という概念に一致しているから
- 名前変換可能という時点で自分にとっての夢小説という枠組みに入っているから
- 話に、重要ポジじゃなくても入り込んで行くなら夢小説だと思っています
女の子なら、ですが…
名前変換がある/なしに関わらず夢小説 44 19.8%
- 書き手の方が夢主として書いているなら私にとっては夢小説です。モブとの小説だからこそ分かる夢主の一面もあるので、そういった作品も好きです。
- RPGでそのモブからヒントをもらったりするレベルのモブではなく、主体的に行動しストーリーを動かすキャラならばモブではなく夢主(※主人公はキャラクターの場合もあるので夢「主」ではないかもしれませんが)
- いや、だってそれも夢小説に入りません?キャラを投入して話を作ってるので。
- イレギュラーな人物が主人公として登場し、且つ原作の世界に入り込んでいるものを夢小説だと個人的に思っています。
- キャラクター以外(この場のモブ含む)が登場する時点で夢小説と大差ないから
- キャラとモブがある程度の関係を持つのであれば夢小説だと思う。
モブが一切の感情を抱かない、キャラもモブに対しての認識がなく原作キャラと関わっている作品(モブの視点=三人称に近いもの)ならば、夢小説ということを考える。
- キャラとモブの小説の場合、モブはどうしても書く側の創作(オリジナリティ)が入るので、そうなれば夢小説だと思うから。
- そのキャラクターが自分の好きな感じだったら、読める
- そのキャラを好きなひとがいれば、それは立派な夢小説と呼べると思います。
- その世界のキャラクターとの絡みは現実ではありえないことなので。読み手書き手の願望の物語である以上「夢」小説かと
- それこそストーリーの中で通行人だけで終わらない時点でただのモブじゃないので、そうなると肉付けされたオリキャラ→夢小説か!となります
- たとえ原作キャラと殆ど関わりがなくとも、そのモブの目線でお話が進んでいく(つまり作品の世界観を借りた)お話であればそれは夢小説だと思います。
- トリップは別として夢主は原作世界にいたかもしれない存在でもありますから
- トリップや転生など”外から投入される人物”以外にも”その世界にいたかもしれない人物にスポットライトが当たった”場合も夢主になると思っているので。上手く説明できなくて申し訳ないのですが……。
- モブが大衆の代表である限り夢小説、共通概念として定着すれば夢小説ではないと思います。
- モブが話に絡むなら夢小説。(キャラがモブの事を想う、など)
- モブとはいえ、原作中の一人のキャラであることに違いないから
- モブもたまに活躍したりするから
- 基本的には名前変換ありきですが、キャラ→モブ(私)やキャラ←モブ(私)の感情が描かれているなら、名前変換が無くても気にしない。
- 空っぽの人物に何か意志や感情を入れたらどうしてもそれは作者のそれになってしまうから。
- 原作に顔だけ、名前だけ登場したという本当にそのキャラクターの性格のよりどころとなるものが無い99%捏造ならば、それはほぼ二次創作者のオリジナルのキャラとなり、それをカップリング小説と言う方が烏滸がましいと私は思う。
よって、完全に夢とは言い難いものの、夢の方が近いため夢小説として良いと思う。
ただし、モブがキャラ同士のCPを語る体などの作品で、CPの描写のためのモブと言う視点ならばそのモブは夢主(キャラの為の存在ではなくCPの引き立て役でしかないため)ではなくオリキャラ二次創作と個人的には分類したい。
- 最近は成り代わりという変わった設定がありますので、あくまでそのモブに成り代わった夢小説と言ったふうにとらえています。
- 自分はモブ=廊下で喋っている生徒A等、メインにはなり得ないキャラクターに使っているので、
モブが原作キャラクターと絡んで居る場合、モブというよりもオリキャラに分類します。
なので、自分の中ではキャラとモブの小説というのは存在しないです。
- 書き手がこれは夢小説だと定めていれば夢小説だと思います。そう言われればこれは夢なんだなと思って楽しめます。
- 夢主=私派ではありませんし、夢主が物語上になんら影響のない端役でもいいと思うので、だったらモブとの違いってほぼないんじゃない?と思った結果です。
- 名前変換の有無よりもモブの中にキャラに対する己の感情や願望が投射されていること、或いはこんな人が出てくればキャラが魅力的に描かれる、という考えの元モブが作られたのであれば夢小説と同じだと感じるから。
- 例えばですが、ハイキューの青葉城西の体育館の二階から及川を応援していた女の子の視点、また及川から女の子に対する視点であり、何かしらの感情があるなら名前変換の有無を問わず夢小説だと思う。
基本的には名前変換ありきですが……
名前変換がある/なしに関わらず夢小説ではない 62 27.9%
- 「夢」と頭につく以上、原作のキャラクターになんらかの影響を与える程度には大きい存在になるのかなと。
- 2項に記した通り。(11)
- オリキャラとモブは違うから…?かな。
モブが出てくるものを読んだことがないのでわかりません。
- キャラとモブの小説はその作品の中のみのキャラクターならあくまで二次創作ととらえる。
夢は原作上の人物でない(成り代わり除く)ものと認識。
- キャラメインで話が進むのなら名前があろうとなかろうとモブだと思う
- その世界に始めから存在しているキャラクターなので
- モブ=自分に当てはめる事が難しく、感情移入しづらいと思うからです。
- モブの設定など詳しくなればまた変わると思いますがり
- モブであろうと原作に登場しているキャラクターを題材にしていたら、夢小説とは違う気がします。
名前のみ、顔のみが存在するモブに個性を付加してオリジナルキャラクターのように扱う創作は、感覚的には夢と非常に近いとは思いますが、夢ではないと思います。
夢主は原作に登場していない存在であって欲しいです。
- モブであろうと原作に登場するのならば成り代わりと考えている。個人的に成り代わりは興味がない創作例なので夢小説という認識もしない。
- モブとの小説は読んだことはありませんが、自分なら夢小説という認識はしない気がしますね。
基本は自己投影派なので、原作キャラ(例えモブでも)と分かった時点で読まないかもしれません。
- モブは、プレイヤーや読み手などがモブ視点になったり、言動を左右するならば夢主やオリジナルキャラクターになるのだと個人的には思っています。
- モブは描写が少ないけれど原作に登場している以上、キャラクターとモブの小説は自分の夢小説の定義に当てはまらないので。
- 元の作品のモブなら、オリキャラではないと思うので。
- 原作にいるから。
- 原作に出てきていたら別物という認識です。
- 原作に出てきている時点で原作のキャラクターだから
- 原作に登場しているのならばそれは原作のキャラであると思うから
- 原作に登場している以上、夢小説というよりCP小説になると思います。
- 原作に登場している以上、名前や明確な外見が描かれていなかったとしても、「自分以外の、何らかのオリジナリティをもったキャラクター」だと考えます。
そのキャラの名前を、自分の名前に差し替えることができたとしても、それを自分だと認識するのに抵抗があります。
なので私にとっては夢小説ではなく、「モブの要素を取り入れたオリジナルキャラ×メインのキャラを描いた作品」という認識になります。
- 原作の中でキャラクターとして確立されていないから、個人として認識できず故に「夢小説」というよりは原作の名前を借りただけの二次創作の一部であると考える。
- 原作者がモブとして作ったキャラだから
- 今までそのような小説に出逢ったことがないが、もしあったとしてもそれを夢小説と呼ぶには違和感がある。
- 作者が夢小説だと言えば夢小説、モブ小説だと言えばモブ小説になると考えています
- 作中に出てくるキャラであるなら、例え名前がなかろうと顔がなかろうと夢小説ではないかなぁと言う気持ちです
夢小説は原作にはまったく出てこないキャラ、と言うイメージです
- 作品に登場していないのが夢小説の醍醐味かと思っていました。
作品内のモブに転生とかならまだ大丈夫です。選択肢は前者に合わせ3つ目を選択しました。
- 私は夢主を「自己投影をしてもいいと提示されている存在」だと思っているので、原作に明確に存在しているキャラは夢主ではないです。どんな端役でも原作キャラである以上、二次創作者が自己投影して良い存在だと提示するものではないと思うからです。いるはずだけど原作に登場はしていない(描写のないクラスメートなど)は夢主になります。
あとモブではないので話はズレるのですが、乙女ゲームの主人公は原作キャラではありますが原作からして「自己投影してもいいと提示されている存在」なので夢主になり得ると思います(夢主=公式主人公は夢ではないという意見も多いですが…)。
- 自分の中では、原作キャラ又はその世界に絡むという目的で生み出されたオリジナルキャラ(又は自分)が投入される作品が夢小説だと思っているから
- 主人公はあくまでもオリジナルキャラクターだと思っているから。
二次創作のカップリングというイメージ。
- 書き手の方が夢小説だと思うならばそのように受け止められるとは思いますが、私の中では夢主という存在がまず『原作に登場していない・存在しない』ことが前提なので。
- 上記にも描きましたが夢小説はあくまで自分が対象になるため、名前変換があるのであれば名前変換小説、なければオリキャラ投入の二次小説の分類。言い方が難しいですが、夢小説ってイレギュラーキャラが居るという認識(トリップ系は特に)モブがいるのは二次小説でよくある同じ世界の一員であるという、IFの登場人物であるという認識でしょうか。(まとまりが無く申し訳ないです)
- 先の項目でも少し記載させて頂いたのですが、夢主を自分の一部を切り離したものと捉えて読んでおりますのでモブキャラとは違う位置付けと考えております。
あくまで夢小説の「主人公」と言う意識が強いので、モブキャラとしてよりもお相手キャラクターと対等、あるいはそれに近しい関係が望ましいです。
- 描写が薄ければモブだと思ってます
- 夢小説=夢主がキャラクターに何か意味を与えているもの、もしくはその夢小説の中で夢主が夢主である意味があるものと考えているのでモブ小説は夢小説ではないと考えています
- 夢小説は、原作を勝手に変えて夢を見るためのものなので、原作に登場している人を扱うのは夢小説とは言いたくないから
- 夢小説はキャラ×自分(確定していないオリジナルの存在)だと思っているので。
原作の○ページ○コマ目に後ろ姿だけ出てるキャラとの小説、は夢ではなくカップリングだと思います。
- 絡み具合にもよるのでなんとも
無回答
- 名前(物語上便宜的に付けられたものでも)と僅かなりとも物語上の役割(このキャラでなくてはならない)がある。
質問8.あなたにとって、キャラとオリキャラの小説は夢小説ですか?
8.あなたにとって、キャラとオリキャラの小説は夢小説ですか?
名前変換ができれば夢小説 94 42.3%
- 3の質問にも答えたように、夢主=オリキャラなので、作者が考えたオリキャラでも、名前変換ができれば夢主になると思うので、夢小説だと認識してます。夢主=オリキャラという認識で読んでいるので、どんとこいです。
過剰な設定ではない限り、夢主=オリキャラは必要だと思っていますので、普通に有りだと思います(ただし、名前変換が有る場合のみ)。
名前変換ができないのなら、それはたんなる二次創作小説だと思います。
- 7-aと同じ。(3)
名前変換ができないのであれば夢小説ではない。
- 名前変換があれば夢小説であると認識します
基本的には読む上で何も問題はないかと思いますが、例えば設定ページなどに夢主の情報が記載され、本文中ではその設定をよく理解していることを前提として話が進むと嫌になります(覚えられない、作中で触れて欲しい)
しかし、名前を変換させる以上夢主の名前に意味を持たせることが難しいジレンマはあると思います(名前変換のことを無視して夢主の名前の由来が本文中で出てきた作品は見たことが有ります)
- あっても良いと思うが、元々一般向けではないジャンルなので人を選ぶネタ(妊娠など)を普通に流したりするのは止めて欲しい
- "うちの子思想はそれほど好きではないのですが、結構うちの子思想の方が多いので公言は出来ていません。
私は上記のアンケートに記載したとおり「なにかに熱中するあの人の恋する姿を見てみたい」という理由で夢小説を読み書きしております。夢主、という存在は私にとって特別必要な存在ではないのです。“自分の好きなキャラクターが恋に苦悩し翻弄され喜び悲しむ”という姿を小説にするために動いてもらっている、程度の認識です。
なのでキャラ×オリキャラの方とは夢小説へ求めるものが根本的に違うので、あまり好きではありません。
偏見かもしれません、と先におことわりさせていただきます。
近年「お相手被りお断り」という一文を見かけるようになりました。なんじゃそりゃ、という感じですがそういうのもオリキャラ(うちの子)を愛しすぎるあまり生まれたものではないかなと思っています。
お相手被りお断りって、意味がわからないですからね。作品に出てるキャラクター数なんでウィキペディアの長文ランキング1位をとったイナズマイレブンじゃない限り数がしれてますよ。あのイナイレだって夢小説になるキャラクターは数がしれている。それなのに「お相手被りお断り」ですからね。その人となにかしら関わりを持つと、以降その人が書いたキャラクターの話を書けないわけです。もっと精密なルールがあるのかもしれませんがそんなことを知らない私がその一文を少々交流のあるサイトの管理人様からフォローされその方のツイッタープロフィールから知ったときはそんな馬鹿な話があるのかと頭を抱えました。(関わりがあるからフォローバックするのが礼儀だけど、お相手被りってなんだよ!!!という気分でした。結局フォローバックしましたがお相手被りを知らないことにしてます)
大切な偏見かもしれないことなのでもう一度言いますが、そういう人は大体オリジナルキャラクター(うちの子)を愛するばかりにそうなってしまっているように見えます。なるべく関わらないようにはしてますが、お相手被りという文化が栄えないことを切に願うばかりです。
- オリキャラが登場する作品を夢小説とするかどうかは作者に任せるべき。
- オリキャラで名前変換がないと、夢として見て欲しくない(積極的な拒否)を作者が主張しているように感じるからです。
ジャンルの文化にもよると思います。
- オリキャラはいいと思うのですが、名前変換がなければ夢小説ではないと思います。(何度も同じ内容で申し訳ないです)
ただし、キャラクターそっちのけでオリキャラを愛でる方には抵抗があります。そのオリキャラを自分が好きになれない場合、ちょっと…という印象があります。
- キャラが濃すぎると少し…
二次創作とは言え原作あってのことなので原作からかけ離れてしまうようなキャラは苦手です。
- この回答をしたのは、個人サイトに作品が掲載されていた場合のことを想定したからです。
私の中でキャラ×オリキャラ(逆の場合もありますね)の小説と夢小説との境界は非常に曖昧なもので、先の質問でも回答しました通り私は常に夢主の名前を変換せずに夢小説を読んでいるので、あくまでもそれをどう分類するかは書き手の方の意識次第になると思っています。
なので書き手側が「オリキャラ小説」と言っているものに対しこれは夢小説だと言う方がおかしいし、逆もまた然りだと思っております。
- こんなエピソード。
ツイッターで、話の流れでフォロワーの男性と、とあるジャンルの話で盛り上がり、ほとんど合作でオリキャラが出来た。
一人は作中の世界観に寄り添ったおんなのこ、もう一人は作中に存在するキャラの兄。
名前や、生い立ちやそのジャンルのキャラたちとどうやって絡んで行くか等も考え、ちょっとした小話も出来た。
恋愛関係となる場合もあった。
彼はずっと「オリキャラ二次創作」として話していた。
そもそも(その当時)彼は夢の存在を知らなかった。
書き手の意識に存在しなければ、やはりそれは夢小説とは言えない。
そして夢小説として定義づけるのに、最もわかりやすい行為が名前変換である。
名前変換があることによって、「夢として読んでいい」「これを書いた人は夢を重々ご存知である」と安心できる。
(その後何かで夢を知った彼は自分のオリキャラ二次創作が夢なのかどうか自問自答していた)
(夢ではないと答えを出していた)
- とりあえず作者が夢と言っていなくて名前変換がついていないならどんなに夢と同じことをしていても夢じゃないとしたい。夢っぽいとは思う。
- ものにもよるが、嫌いである。何故ならばオリキャラというと厨二くさいイメージが強く、設定が全て反映されていないものが多いからである。また、自己投影派としては自作品・他作品問わずオリキャラに嫉妬してしまいがちだからである。
- モブ小説についてと同じような感覚でした
- わたしはキャラクターの設定を深く考えてしまうタイプの人間なので、むしろ設定があるほうが好感が持てます。そもそも、夢小説というのは、~~な女の子にこのキャラはこう行動するだろう、という妄想を形にしたものだと思っています。
ただ、名前変換がなければ、夢小説というのはどうなのかな、と思います。わたしは元々機能を活用しない人間なので気にせず読みますが。
10のことになりますが、pixivなどのどうしても名前変換ができない環境下ではありだと思います。サイトなどで、機能をつけれるのにしない、というのは夢小説ではないと思います。
- 意見と言うほどの意見はありません。基本的にストーリーがどれだけ作りこまれているか、違和感なく話を持っていっているか、原作キャラとの人間関係の作りこみなどが作品を読むに当たって重要視する内容なので、キャラ×オリキャラであるのならばそのような形で楽しみます。登場人物が夢主かオリキャラか、ということは私の中で重要ではなかったりします。私の中ではわかりやすいキャラクターの言動の解釈が作品を読むに当たって重要であります。原作キャラの考察話が好きなので、原作キャラ同士でそれらを補填できるのならばそれでよし、どうしても原作キャラでは補填できないところで考察をしたいために夢主やオリキャラが出てくるのならばそれでよし。
- 原作に居ないキャラを登場させている。限りなく夢だと思いますが、筆者が「夢ではない」としているのであればその意思を尊重したい。個人的なこだわりがあると思いますし。
- 限度にもよりますが、名前変換の有無は夢小説と単純な二次創作の分け目だと思っています。
オリキャラのデフォルト名があっても変換ができるならば夢小説に該当すると思います。
- 個人的には、夢主を一人のキャラクターとして考えた上で自己投影(感情移入)するタイプなので、夢主は個性が強いほうが好きです。
だからこそ、夢主=無個性である本来の夢小説と、キャラ×オリキャラ小説は違うものだと思っていますし、もっとわかりやすく棲み分けが出来たほうが嬉しいです。
具体的にはキャラ×オリキャラ小説は夢小説とは別にわかりやすい名称があれば嬉しいと思います。
- 個性的で、外見描写もあって、名前もがっつり決まっている。なのに設定だけしか定めず、小説等で書きあげてない場合にも夢小説って言われるとモニョる。
- 最強設定や、やたら細かいところまで作りこまれたオリキャラだと読みにくい。
- 作者が夢小説だと主張したらそれは夢小説になるのではないかと思います
- 作者が夢小説ではない、と言い張っても「名前変換が出来るなら自分にとっては夢」なので夢として読む。作者の本懐ではないだろうが、それで作者に迷惑がかかるわけでもないので。
- 私が最初に見た夢小説は夢主=オリキャラの情報量で、最早自己投影できないのが多かった。でも、それは作者にとっての""夢""小説なのだから、おそらく夢小説"
- 私はキャラ×オリキャラの夢小説が好きです。
一人のキャラクターとして物語と背景を与えられたキャラが、原作キャラと関わって、お互いに変わっていく話を好んで読むので、オリキャラ≠夢主ではない、という意見はあまり賛同出来ません。見た目の決まったオリキャラにだって自己投影するし、無個性夢主と考え方が合わなくて萌えないときもあります。
ただ、そのオリキャラと自己の意識を近づける道具というか橋渡しとして「名前変換」があると思ってるので、ただのキャラ×二次オリキャラとラベルされた小説を読むかと聞かれると微妙な所です(好きなサイトさんの所であれば本にされて名前固定であっても読みますが、初見ではどうか、という意味です)。
- 私は名前変換ができれば夢小説だと思います。
ただ、作者が夢でないと言うならそれに準じます。
- 私も昔はオリキャラを当ててたのですが、現在では自己投影しております。
そうなったきっかけなどは特に思い当たらないので、単に好みの変化かと。
自己投影派となった今は、名前変換ができない夢小説に出会ったらガッカリして読むのをやめるか、マイナージャンルでどうしても他に書いてる方が見つからなかった場合は、脳内で自分の名前に置き換えて読みますね。
ただ、これは本当に好みの問題だと思うので、これは夢小説じゃない! これこそが夢小説だ! などという執着はさほどありません。
ですが、夢小説サイトを探してみるとほとんどが名前変換できるサイト様なことを考えると、名前変換=夢小説という概念が多数派なのでしょうか?
- 正直に言うと人のオリキャラにはあまり興味はないです
- 対象キャラ×オリキャラ(夢主\名前変換あり)は夢小説。
対象キャラ×オリキャラ(夢主\名前変換なし)は小説。
オリキャラの設定が細かいほど、夢主=私だと認識できないので
よほど対象キャラが好きで対象キャラが関わる話を読みたいと思わない限りスルーします。
- 読み手としてのアンケートなのを承知で書きますが、書き手としては書きやすいです(脳内で長編アニメ映画サイズで再生されるのを何度も一時停止しながら文に書き起こすので)
- 読み手としてのアンケートなのを承知で書きますが、書き手としては書きやすいです(脳内で長編アニメ映画サイズで再生されるのを何度も一時停止しながら文に書き起こすので)
- 読むか読まないかはこちらが決めるので、個人的な定義として『変換可能/夢と作者が認識して世に出している』を満たしていれば気にしません。
- 夢主に自己投影する人からすると個性が邪魔だと思われるとは思うが、ストーリーを楽しみたい側としては夢主の個性がある程度あった方が読んでいて楽しい。
- 夢小説は、名前の変換機能があってこそだと思うので。
性格はあくまで副次的なものであり、あってもなくてもよいものだから。
元々のキャラを食わない程度の性格であれば、オリキャラか否かは私にとってはあまり問題ではない。
- 夢小説黎明期の感覚を引きずっているので名前変換のできるオリジナルキャラでなければ夢小説とはあんまり思わない。
ただ、作者が夢小説だと思っているならそれはそれでいいと思う。
- 名前が固定されているのであれば、それは創作キャラとの二次創作ではないかと感じる。
- 名前変換があり、書き手が夢だと言うのなら夢でいいと思います。読み手としては夢小説というよりも「その書き手が書く小説」だと思って読みますが。
- 面白ければ読みます。オリキャラだから拒否反応があるとかはないです。
- 話の流れで名前を呼ばない場合でも、作者の意図によっては夢小説だと思います。
名前変換がある/なしに関わらず夢小説 72 32.4%
- 作者が夢小説としてアップしているなら私にとっては夢小説です。
- "「夢主」という言い方を知ったのは最近なのですが、「キャラ×オリキャラ」は同義語のように感じました。
「主(主人公)」という言い方をする以上、「その人物像でなければならない理由」があると思うので、そうなると名前変換のある夢小説でも、オリキャラ+原作キャラ小説、とも見えます。"
- キャラ×オリキャラと銘打つより、同じ内容でも名前変換をつけて夢小説と銘打ったほうが多くの人に読んでもらえるのかな…とは思います。世間的には。私は素敵な話が読めればどっちでもいいです。
- これも実際に居ないキャラなので。
- そのオリキャラとキャラが恋愛をせず、ただの日常を送っている描写だけだったとしても夢だと言う人もいますが、それは書いた方本人の気持ち次第ではないかなと思います。恋愛だけでなく、さまざまな形の夢があることを、キャラ×オリキャラ作品を作ることで少しでも知ってもらえればなと思います
- たとえ没個性であったり、夢主が自己投影用でも私にとっては、場合によってオリキャラとして読むこともある。無意識下のことですが、
- 楽しいので大好きです
名前変換がない小説もありますが変換機能がついている方が嬉しいです
- 感情移入できなくなった時点で夢主はオリキャラであると感じます。
- 原作にいない時点で今後どう物語が進んでも、そのキャラは現れないだろうし、版権キャラと絡むなんて夢のようなことだから。
- 原作にないキャラクターを介入させた時点で夢小説だと思っているので、
名前変換があろうとなかろうと夢小説=キャラ×オリキャラだと思っています。
- 個人的には夢主とオリキャラの差は原作世界への影響力のあるなしと捉えているので、『話になるほど絡んでいる』=『影響力がある』=『そのオリキャラは夢主』と考え、それは名前変換を用意していなくても夢小説だと思う
- 好みと一致していれば読みますが、基本的に好みではないので積極的に読みません。
- 作中でオリキャラの出番が一瞬などではない限り夢小説
- 私の認識はともあれ、オリキャラの性格や外見など、が我や個性がその人独自のものとして確立していれば、夢小説ではないと認識する人が多いのではないでしょうか
- 私の夢小説の定義が【原作に無いキャラクターと公式キャラクターの絡んでいるもの】だから
- 私自身夢主=オリキャラとしてきっちりかっちり設定を練るので、オリキャラでも夢小説です。
名前変換は正直言ってあった方が嬉しいですが、名前に意味があったりする場合はなくてもいいんじゃないかと思います。
「夢小説だ」と書き手から提示されていればそれは夢小説だと思います。
- 私的にNL派なので、男主の友情夢はあまり夢小説とは思っていません
思えないに近いですね…感覚的にですが
でも、男主で女の子と恋愛するなら夢小説だと思います
- 自己投影もオリキャラも「その人の代理もしくは本人」で動く原作には存在しない人?っていう感覚なのでどっちも夢でいいんじゃないかと
- 自己投影型しか知らなかったので広まってほしい。
- 自分がよくキャラ×オリキャラで妄想してるし、名前は変更できないけど、一応夢主の枠だとは思ってる
- 書き手がガッツリ決めた設定(特殊能力など)だと読む気が失せる。
- 原作にはいない、原作のキャラクターに影響を与える存在だから。
- 正直に言うと、話が面白ければオリキャラに感情移入できるので、名前変換が出来なくとも夢小説と同じものだと見なしています。
- 存在を創作したキャラクターが原作に関与すれば夢という認識です。
- 夢=現実に無い、IF、そうであったらいいな、という小説が総じて該当すると思っています。
- 夢主=自分という当初の概念が崩れている現在、広義に解釈すると夢小説。該当するジャンルがないので暫定的に夢小説の部類と考えています。
- ストーリーを動かす、キャラクターを行動させる力のあるオリキャラが登場する場合は夢(作者が夢ジャンルを知っててなおかつ論理的な説明がつきその上で夢ではないと言うならば擬似夢とでも)
- 恋愛のあるなし関係なく、オリキャラは外見がはっきり出ていなくても夢小説だと思って見ています
名前変換がある/なしに関わらず夢小説ではない 16 7.2%
- 「夢小説=キャラと私の物語」として捉えているので、容姿性格その他もろもろ固定されまくりのキャラは私になり得ないので名前変換の有無に関わらず夢小説だと思えない。
名前変換無しの夢小説サイト、なんて言葉を見かけた時はびっくりしました。単なるキャラ×オリキャラの二次創作じゃないかと……
- モブを夢主の相手キャラとして位置付けるなら当然、名前を含んだ個人設定が必要なので、それは「原作キャラ」というより「管理人が考えたオリキャラ」となってしまうから。
ただし、もし書き手が8のキャラ×オリキャラをあくまでも夢小説と定義付けるなら、読み手が一概に「夢小説ではない」と決めつけるのは良くないと考える。
- NLでいいと思います
- オリジナルキャラクターはそのキャラクターを作成した人のもの(あくまでオリキャラであり、=自分と扱うのは作者には伝えてはならない行為)、夢主は小説を書いた人が考えた共有の概念(オリキャラとして扱う人もいれば自分と扱う人も居るしそれでいい)
- それは夢小説ではなくただの他の小説では? と思う
- 決してキャラ×オリキャラが嫌いなわけではないが、それを夢小説と称するのは本当に止めて欲しい。よくオリキャラ夢主を「うちの子」なんて呼んでいるのを見かけるが、読者に好き勝手に「うちの子」の名前を変えて読まれることに対して何の抵抗もないのだろうかと心底不思議に思う。
- 作中の世界が破綻しない程度に、その世界で、もしかしたら存在したかもしれないオリキャラというのが最高峰だと考えています。活躍させたい気持ちは解りますが、キャラを食ってしまうような(上記にも書きましたが最強キャラや誰もが惚れるような美人など)オリキャラにはご退場願いたいと思っている次第です。あくまで読み手としての一意見であり、作者には好きに書いてもらいたいとは思っております。見るのも自由、書くのも自由。
- 場合にもよりますが、夢小説の定義が前述の通りなのでオリキャラが出てくるというだけでは夢小説とは感じられません
定義に当てはまれば私の中では描写量が多くても少なくても夢小説だと感じられます
- 読み手としては勝手に、これ夢だなーとおもって読みます
- 夢小説と何が違うのかと問われると困るのですが、オリキャラは作者のメアリースーがより感じられるような気がしてあまり好きではありません
- 名前、容姿が決まっているキャラクターはオリジナル主人公と、原作キャラクターとの小説になるので夢小説とは言わない考えています。
最強、学校一美人、みたいな設定についてはまったく夢がないし、夢小説というのは違うと度々思います。
作中における夢主情報の描写量による 29 13.1%
- オリキャラの小説は名前変換をつけることで夢小説として扱われようとしているが、なぜ夢小説であることにこだわるのか理解できない。オリキャラが登場する二次創作(≠夢小説)では読み手が限られるからでしょうか。
- キャラ×オリキャラはあっても良いと思います。
しかし自分の好みではない場合も結構あるので、我儘を承知で申し上げますと苦手な人に対して少しでも配慮して頂けたらと思います。
また個人的な意見で申し訳ありませんが、あまりに細分化された設定過多な夢主が登場する夢小説に関しては最早キャラ×オリキャラではないのかと思ってしまいます。夢小説の中では個人的にあまり好きでない分野なので、そもそもそういったものを夢小説と一括りにすることには嫌悪感を覚えます。
- これはオリキャラなので読者は自己投影しないでほしい、と言われると、作品を読む目的が満たされないので、そういう作品は読みません。
話を盛り上げる・興味深くするためのキャラ設定は全く抵抗ありません。
- ストーリーにごりごり関わってきたり、キャラの背景にガッツリ存在するならこいつ夢主だー!にはなりますね
- 嫌いではないが読むのに気力がいる。よほど読ませる力のある人でないと、やはり難しいのではないだろうかと。
- (12)読んで、作者がそのオリジナルキャラクターに自己投影や、作者が言いたいこと、やりたいことを代弁させているなと感じれば夢小説だと判断します。
- 難しい質問です…
あまりにも読み手がとして考えてなければ(それこそモブ的な)夢小説とはならなくなる…のか?
エピソードすらなにも生まれなかったら夢小説とは違うのかも…
- 夢主とオリキャラって意味であれば場合による。一次はあり、二次は微妙。
- 夢小説界隈にいる人間としては、原作にいないオリジナルキャラクターを作ったり、「キャラクターの姉という存在はいるが、名前、性格など不明」というキャラクターに、作者独自の性格設定など捏造を加えたキャラクターを動かす場合、それは夢小説なのではないかと思う。できれば名前変換がされると大変ありがたいが、ない場合はそのままでも読める。
- 例えば連載だと、ある程度の設定は必要だと思うので特に何も感じないことが多いが、それが最強夢主とかだとオリキャラ小説だと感じてしまうことが多い。
ただ、本当に我儘というか、私が「最強になりたいな」と思っているときにそれを読めば夢小説だと感じてしまうので、かなり曖昧です……
質問12.元々オリキャラとして設定されたオリキャラ二次創作小説と、名前変換ができない環境での夢小説(デフォルト名表示された夢小説)は別物ですか?
12.元々オリキャラとして設定されたオリキャラ二次創作小説と、名前変換ができない環境での夢小説(デフォルト名表示された夢小説)は別物ですか?
同じ 93 41.9%
- 10の名前変換ができない環境下での話になるから。
- イレギュラーメンバーが主として登場すれば、夢小説だという認識です。
- オリキャラ=夢主認識をしているので同じです
- オリジナルキャラクターが関与するのであれば名前変換があろうが無かろうが、展開に夢や希望があろうが無かろうが夢小説だと思います。
- キャラの強さ具合にもよりますがにたような小説だと認識してます
- ちょっと質問が、何を聞きたいのか読み取れませんでした
- デフォ名が「●●」などの名前とは考えられないような記号ならすんなりと頭の中で名前を変換できるが、そうでない場合はキャラ×オリキャラとしか思えないので。
- どちらでもない、がなかったので同じとさせて頂きました
- どちらにしても名前変換があれば私は夢だと思うし、なければオリキャラ二次と思うだけです。同じです。
- どちらにせよオリジナルのキャラクターを作り、原作世界やキャラクターになんらかの影響、関わりを与える点でそれは夢小説であると思う。
- どちらも原作に「無い」登場人物です。ですが、原作の世界観に居るかもしれない、居たら面白いという点では同じなので結果的に同じものと考えます。
- 感覚的に。そもそもオリキャラ二次創作というジャンルがよくわからないです…
- 基本的には名前変換が出来ない状況でわざわざ夢小説書かなくても、と思います。夢小説なんて今時簡単に作れますし……
それをわざわざ名前変換出来ない環境で公開する必要は無いと思うので、デフォルト名小説とオリキャラ二次創作との区別は無いと思います。
- 既出。同じといってもその作品ごとの内容による
- 元々オリキャラとして設定されたオリキャラ二次創作小説ならば、名前変換機能は最初からなく、なおかつ二次創作小説と明記してあるので、夢小説として読むのではなく、普通の二次創作小説として読むことができますが、名前変換ができない環境でのデフォルト名小説の場合だと、変換ができないからデフォルト名で登場させますという、一見そういう事情なら仕方ないかと思うけれど、""変換ができないから""という理由ならば、それは名前変換不可の夢主であり、夢小説のつもりで書かれていると思うので、変換できない違和感が出て気持ち悪いです。""名前変換ができない環境でのデフォルト名小説""で、""夢小説""ではなく""二次創作小説""と明記してあれば二次創作小説。
上記の理由から、""元々オリキャラとして設定されたオリキャラ二次創作小説""と""名前変換ができない環境でのデフォルト名小説""は同じ二次創作小説だと思っています。
- 現実には名前変換ができないので、名前変換ができない場合にはオリキャラ二次創作として読みます。実際には変換しなくとも、変換ができるかできないかは私の中で割りと重要なことであるように思います。(オリキャラ二次創作として読むか夢小説として読むかという選択において)
- 好みは分かれるとは思いますが、結局はどちらも夢小説という認識でも私は大丈夫だと思っています。
- 作者が夢小説だと言っていないなら、実質的に同じなのだから、同じなんでしょう。
- 作者にとっては別物かもしれないが、自分は「変換が出来ない時点で夢小説ではない」という認識を持っている為。
- 作者の考え方の問題であって、読む側にとっては同じかなと思ったので。
- 私にとっては主人公に感情移入出来るか否かが面白さの判断基準なので、物語が生まれるまでのバックグラウンドはあまり関係が無いからです。
- 私の頭の中では名前とか性格とかも変換できるから
- 自分が書いていたとき、「名前をタグに変更するだけで性格もストーリーも同じもの」として扱っていたため
- 前者のほうが名前変換機能をつけていれば、同じだと思います。
- 同じというか、名前変換が出来ない環境で敢えて夢小説を公開する必要性を感じないです。誰でも簡単に名前変換機能を設置出来るし、そういう場で作品を公開していればいいのではないか。
また、どうしてもそういう場で出したいのであれば基本的にネームレスであって欲しい。
- 同じと答えたがそこはもう作者次第だと思う。
- 同じ穴の狢。やっていることの本質は一緒
- 読み手からすると同じものに思えてしまう。
しかし、それぞれ書き手の意識が違うため、ひとくくりにするのは難しい。
- 読む側としては同じだと考えます。区別をつけることは難しいでしょう。作者が違うと言っていれば違うのだろうなくらいの認識しかありません。
- 媒体にも依りますが、基本的には『(書籍だろうと)名前変換は可能であるべき』としているので、自分はデフォルトネームが出ているモノは夢小説とはみなせないですし読みません。
- 表記が違うだけで意味は同じだと思うから。
- 夢小説の"夢"は書き手と読み手両者にとっての"夢"だと思います。デフォルト名があって変換がないなら読み手の意思は何も反映されないので、既成のオリキャラ出演小説と変わらないのでは。こっそり思ってるけど、この意見を押し付けたいわけでもない
- 夢小説の定義は流動的で様々なオリキャラ二次創作を内包出来るものだと思う。
ネーミングの違いだけで中身には差はないと思う。
差があるとすれば、ラベルの認知による読者層書き手層の違いかと。
- 名前ができた時点でキャラクターとして成り立っていると思うから。
- 名前が変えられないのであれば創作キャラという認識。
- 名前が変換できないということは、読者が名前変換する手段を完全に断絶している状態になっていることを示す。読者が名前変換可能であること自体が夢小説の原点であり前提であり、夢小説なるものを位置づける唯一無二のファクターだと考えている。なので、モブキャラだろうがオリキャラだろうが書き手の特別な思いが込められたキャラだろうが名前を変換できるならば、それらは全て夢小説だと捉えることができる。読者が任意に名前変換できるという"選択肢"を提示することで、ストーリーへ入り込む敷居を下げる効果が名前変換機能自体にあると思う。その"敷居を下げて物語に浸りやすくする"ということ自体を簡単に実現できてしまうのは名前変換機能くらいしか思いつかないという現状、名前変換機能そのものを改めて評価したいと個人的には思っています。
- 名前変換=夢小説の概念があるからです。
- 名前変換がなくても、どちらの小説も書く側のオリジナルキャラクターを交えているから。
- 名前変換が出来ない時点でそれは夢小説じゃないから、オリキャラ二次創作=名前変換出来ないデフォルト名小説。
- 名前変換は夢小説における必要条件ではなく、飽くまで判断は書き手や読者それぞれが行うものであり、その認識は必ずしも共有されるものではないから。
- 8-aと同じ(12)
別物 118 53.2%
- 書き手がオリキャラ二次創作小説として書いているならそれなりのこだわりがあると思うので、夢小説とは別物になると思います。
- オリキャラ二次創作というものは、基本的に「その世界観を借りてオリキャラのみが話を展開していくもの」であるから。
これは私の個人的な意見であるが、デフォルト名小説は夢小説ではないと思うし、オリキャラ二次創作にも当たらないと思う。名前変換出来ず、既存キャラも出てくるからだ。どちらかと言うと、(GE、フリウォで見られるNPC×主のような)キャラ×オリキャラなのでは。
- オリキャラ二次創作はそもそも夢として書かれていないので別物。
「名前変換ができない環境でのデフォルト名小説」は夢として書かれているなら…??夢なのでは…??
と思ったが、先ほどの10の質問・回答と矛盾することに気付き愕然とする。
(夢主の名前は出てこない、所謂ネームレスは夢小説(デフォルト名があれば夢小説ではない), 作者が夢小説と言っていれば夢小説、そうでなければ夢小説ではない)
ほとんど夢だとは思いつつ、(するかしないかはともかく)名前変換ができる、ということはかなり大きいので自分の中で判別が難しい。
書き手としては、紙面や変換機能が使えない場所でなら、デフォルト名は出さない、という姿勢でやってるため。
- オリキャラ二次創作小説の概念と夢小説の概念がどういう組み分けなのかがはっきりしてないので、分からないですが、私の述べてきた概念からすると夢小説=名前変換できるものなので、オリキャラ二次創作小説とは別と考えます。
- オリジナルキャラと夢主の区別は正直ないと思います。
ただ、個人的には夢小説とは言えメインは原作キャラだと考えているので、原作キャラより目立ち独り歩きしてしまっているキャラは夢主ではなくオリジナルキャラであると思えます。
なので名前変換でどうのと言うものではないと思いました。
- こちらも作者の意図によるかと思います。オリキャラ二次創作小説というのが具体的にどういうものなのかきちんと把握できていないのですが、作者が読者が自己投影することを前提としているかだと思います。
- これまたケースバイケースだと思われます。
個人的には設定を盛り込んだオリキャラ二次小説と、個性の薄い名前変換できないデフォルト名小説は別物であると判断します。
- すみません、なんとなくです。
- どちらにせよ単なるモブに(仮に)名前をつけただけの代物ですが、書き手が読み手に名前変換を求めるか求めないかという差が夢小説とモブ小説の差だと思っています。
- どちらも夢小説ではないと思うけれど、作者の気持ち的には後者は夢小説なのかなあと思うから。
- ナノで全短編の名前変換が一括のため。また、都合や利便性によりデフォルト名を変更することがあるため。
- 違う目的で書いたのであればそれは別物だと思います
- 書き手の方の意識次第だと思っているからです。
- 外から見れば同じでしょうが、やっぱり書き手の判断にゆだねられるものだと思います。オリキャラ二次か夢小説か、これはこっちだと情報が提示されていれば、そうなんだなと認知して読みますし、もしくは明らかに夢小説ではないな(媒体やその小説が載っている場所的に判断して)と分かれば、それを夢を読む気分で読むことはできないと思います。
- 感覚として、何かが違う
- 環境上名前変換が出来ない場合は読み手側が自分で共感や自己投影ができるように「自分」として多少脳内変換しても許されるかな、と思いますが、元々が「オリジナルキャラ」として出されると、そのキャラクターを二次創作元の作品を見るのと同じ感覚になって、言ってしまえば「他人」のように感じます。
- 厳格には区別できない。書き手の認識でどちらにもなりうるものだと思う。
- 個人的には別ものだと思っていますが、読み手からは判断出来ません。
そのオリキャラのプロフィール(設定の濃さ、名前のきらびやかさ)などから何となく察することは可能だと思いますけど、それもこちらの勝手な解釈でしかないので、結局は書き手の方の意識とそのときにどうラベルが貼られるかの違いぐらいだと思います。
- 個人的に夢小説は名前変換が前提としてあると思ってるので。
- 後者はデフォルト名、という言葉が出るなら夢…本来は名前変換をさせたいという作者の前提を認識するので
オリキャラとして設定・小説として形作られただけのものにはデフォルト名という想定自体が出ないと思い別物だと思いました
- 作者がオリキャラ二次創作と言っていれば夢小説ではないのかな……と。
- 作者が違うというなら違うと思います
- 作者が後者を夢小説だと思っていれば夢小説になるため
- 作者が夢小説というのなら夢小説だと思う。
- 作者が夢小説と公言しているならば夢。そうでないなら、オリジナル小説(二次創作物)として読む。
- 作者が夢小説と名乗っているなら夢小説だと思うから。名乗ってない場合はオリキャラ二次創作と同義であると思う。
- 作者が名前変換をさせたいと思っている、名前変換して読んでも構わないと思っているものは夢小説だと思いますが、名前変換を前提としていないものは別の括りにすべきだと思います
- 作者の意思は尊重されるべきなので
- 作者の見解に委ねられる
- 書き手がどういう認識?で書いているかによって、文章が違ってくると思うので…
- 書き手の意識の違いでしょうか。うまく言えないです…。
- 書く人の主張によりけり。
- 読もうとしている対象が絞られてくるため。
- 読んだことがないのでちょっと状況がよくわかりませんが。
- 変換機能が存在しない場合は、仕方がないということと、デフォルト名であること。
デフォルト名とオリジナル夢主の名前という認識の違い。
- 夢と言う括りはあれど作品をどこにカテゴライズするかは作者の最大の自由かなと思うので(読者が心の中でどう思うかも自由)、作者が夢ではないと言ったらそれは夢ではないのかなと
- 夢小説という主張しているか否かで重点的に見るポイントが変わる気がする
- 夢小説といっている時点で名前変換はつけてほしいが、いくら名前変換機能が無くとも夢小説は夢小説かと。「姫ちゃん」呼びなんかがその例ですかね。
- 名前変換あってこその夢小説ですからね。
元来キャラクターと恋愛したい?という願望が小説になったと思います。
漫画のキャラクターと乙女ゲームですよねときめきメモリアルです。
バンビなりデイジーなり呼び名はあっても名前を読んでくれるから乙女ゲームなわけです。佐伯君が名前を読んでくれるからときめくわけです。(夢漫画は別ですが)
けれど多くは個人の価値観に委ねられるものだと思っています。
- 名前変換ができない環境でのデフォルト名小説が、無個性夢主の夢小説になりえるかという視点で考えさせて頂きました。
名前変換は夢小説にとって非常に重要な要素だと思っているので正直難しいのですが、名前があったとしても個性を薄く描写することは可能だと思います。でも出来ればデフォルト名は出さないで欲しいです。
- 名前変換ができない状況でなら、作者が夢を書いたかオリキャラ小説を書いたかは不明なままなので、疑わしきは自らの利益に引き寄せて夢として閲覧するので、別物だと考えます
- 名前変換ができるものが夢小説だと思っているので。
- 名前変換できればオリキャラ=自分と考えて読むことができます(読みやすい)が、名前が変換できないと感情移入しにくい気がするため別物と思います。ただ、あまり深く考えたことがないため感情移入しやすければ同じと認識している気もします。(作品の内容による気もします。)
- 名前変換をしようと思うか思わないか(=自己投影するかしないか)が分かれ道だと思います。前者は自己投影の余地を与えずオリジナルキャラクターとしての個性を確立しているのに対し、後者は文面からの予測に過ぎないのですが、pixiv等「名前変換を導入したいけど機能上できないから便宜上デフォルト名を使用している」という風に思うので、前者は夢小説ではありませんが後者はそうであるという認識です。
- 名前変換を意識されてるかされてないで別物だとおもう
- 私的な感覚で恐縮なのでしが、オリキャラ二次におけるオリキャラは夢主よりも『オリジナル性』が強い印象があります。
読み手の、想像の余地に任せる(任せてもいい)『ゆとり』の部分がオリキャラ二次には少なく、逆に、自己投影をある程度前提にした夢主にはこの『ゆとり』の部分が多い。という印象です。
名前変換のないデフォルト名小説においても、ある程度読み手(私)の好きに外見、性格などを妄想できる、いい意味でのあやふやさがあると思っています。言い換えると、妄想しても罪悪感がないというか………。オリキャラ二次という名前を冠されるだけで、『オリキャラ』の『オリジナル性』をぐいぐい押し付けられているような印象を……。オリキャラ二次、好きなんですけども。
私が求めているのは、あくまで『(夢主にたいしてある程度自由な解釈が認められる…ような気がする)夢主』とキャラの恋愛、なんだと思います。
ええと、話はそれてしまいましたが、まとめますと「本人が夢というなら夢だろう」という意識論になってしまうのですが。夢と関してもらうだけで名前固定でも感覚的にふわっとするので。そしてそのふわっと感が、個人的にな夢とオリ二次の境目だなぁと思いました。
- 書き手としての視点も混ざってしまっているかもしれませんが、「キャラと絡む前提」を与えられるか「その世界を楽しむ為」に作られるかして、とにかく「なんらかの願望が反映されたアバター」たる夢主は、たとえとりあえずの名前が与えられていたとしても、元から「世界観や関係性を離れて独立させることも可能なキャラクター」として作られたオリキャラ二次にはなり得ないかなぁと思います。
- 7-aと同じ。(3)
『私の夢小説』アンケートまとめ
2015年1月15日~1月21日の一週間に渡り、夢小説を“読む”方へのアンケートを実施しました。
このアンケートでは飽く迄も“読み手”としての意見を募集させていただきました。
予想以上にたくさんのご回答を頂き、どのような形で結果を公表するか散々考えた結果、頂いたお声をそのまま公開させて頂くことにしました。
(コメントを要約すると、答えてくださった方の意図と異なってしまう可能性があるため)
ご回答くださった皆様、貴重なお時間を割いてくださり、ありがとうございました。
様々な考え方が募る結果となりました。
“こういう認識の人もいるんだな”と言う感覚の上で、ご覧いただければ幸いです。
『回答の概要』
https://docs.google.com/forms/d/1T5YqicvMBUfkv6Nn_iGpU99ukSvg34vv3oLbLOvkUtg/viewanalytics