備忘録

文字書きの備忘録

質問2.あなたの認識で、より『夢小説』に近いのはどちらですか?

2.あなたの認識で、より『夢小説』に近いのはどちらですか?

名前変換ができる小説    106    47.7%
  •  名前変換が出来るものが“夢小説”だと思っています。
    理由と致しましては、
     まず1つ目「名前変換が目印になっているのではないか」というのが理由としてあがると思います。
    支部などで、BL作品に腐向けタグを貼り付けることはご存知でしょうか?
    ご存知でなければ申し訳ないのですが、その世界ではピクシブというコミニュケーションサイトにBL作品を投稿する際には腐向けタグというものを挿入することが暗黙の了解のようなものになっています。これは一般向けを探して迷い込んでしまった方への配慮であり、夢小説に言い換えればこれこそが名前変換なのではないか、と思います。何も知らない方へ「このページに名前変換をして読むものがあります」とお知らせするものになるのではないかな?と。勿論必読ページなどはありますが、最終手段としてそうなる、一般の何も知らない方への最後の気遣いというものではないかと思います。
  • キャラクターが名前をよんでくれる’というオンならではのジャンルだと認識しているから。
    名前変換のない夢主は‘オリジナルキャラ二次創作’小説であり‘夢’小説ではないと思う。
  • 「夢というのは元々既存キャラクターの名前を自分の名前に変換し楽しんだものが発祥」であると聞いているから。
  • 『夢小説』が本来、作品の中に「自分」を入れ込むことのできるものだ、というところが最大の特徴でセールスポイントだと思っているから。
  • オリキャラ二次創作というジャンルが昔明確に夢創作と区別されていたためやはり名前変換の有無は大きいと思うから
  • オリジナルキャラが入っている時点で夢に近いとは思うものの、あくまでも名前が変換できる=読み手がその世界に入ると考えているため
  • キャラ×自分として読んでもいいと思いますし、自分ではなくキャラ×オリキャラとして読むのでも個人の自由だと思うので。
  • 昔話夢主のキャラが強烈なサイト様もありましたので、自分の名前をいれることに違和感がある場合もありました。
  • どちらかといえば自己投影寄りなので、人の決めた名前では感情移入できない。加えて夢主の名前が難しくて読めないし、#name1#とかだと萎えるため。
  • なんとなく。
  • ネームレスは除きますが、基本的に恋愛夢だろうと友情夢だろうと何だろうとそれらに共通するものが『名前が変換できる機構が付いている』ということだと思うので、夢主と言う存在(モブだろうがなんだろうが)ではなく、変換できることに重きを置いています。あとは、『作者が夢小説だと思っている』ということも大事ではないかなと。
  • ぱっと作品を見た時に、名前変換がある→ああ夢小説か、のようにわかりやすい
    ""「夢主」という存在""が漠然としすぎている
  • もう10年以上前だと思いますが、ページにアクセスした途端「あなたの名前を聞かせて」というメッセージが表示されて、不思議に思いながら入力したのが夢小説との出会いです。好きなキャラクターが自分の名前を呼んでくれる!というのが衝撃でした。以降、「夢小説=自分の名前を小説内に組み込むことができるもの」という認識を持ち続けています。
  • 一番最初の認識が、名前変換ができる作品=夢小説だと思っていました。
    今は名前変換があり、なおかつキャラと何かしらの関係がある作品が夢小説だと思っています。
  • 外から一人、二人入れて再構築するので、名前変換は欲しいところ
  • 基本的には名前変換ありきですが、別に無いからと言って気にしない。というかネームレスでも構わない。ただ、容姿性格その他もろもろの設定が固定されてるキャラ(いわゆる夢主、うちの子)が主人公だと、名前変換があっても夢小説だと思わない。
  • 基本的には名前変換ができる小説です。ネームレスは変換はないですがOKです。
    ただ全ての質問において言えるのですが、デフォ名固定の小説でも書いた人が夢小説だというなら夢小説でいいとも思います(サイト上でもpixivなどでも)。私は夢だと思わないし読みませんし正直増えたら困るのですが、オリキャラ二次自体があまり肩身の広い立場ではないと思いますし、夢からも追い出すようなことはしたくありません。
  • 現在は夢主の設定なども個性が強く、オリジナルキャラとして確立しているが、元々の流れとしてはキャラクター×自分というのがあるため、名前変換できるのは最低条件だと思う。
  • (2)個人的に、名前変換が出来ないのは作者のオリジナルキャラと捉えている為
    名前変換が出来てもオリジナルには変わらないのだが、多分気持ちの問題だと思います
    そのせいか名前変換が出来ないものはあまり読みません
    でも夢主=自分とは思っていません
  • 個人的に名前変換ができるのであれば夢小説と言ってもいいかなーと。
  • 最初に「夢小説」に触れた時には名前変換機能の無いものがなく、また「夢主」という単語も当時あまり見なかったため、「名前変換するキャラとの恋愛物小説=夢小説」だと思ってました。
  • 最初に出会ったものも、その後に読み出したものも全て名前変換ができるものでしたので、こちらの方が馴染みがあります。
    否定するわけではありませんが、名前固定で作者の考えたキャラクターとの小説だと、何だか他人の妄想を押し付けられているかのように感じてしまうので私は全く読みません(たまに見かけますが)。
    ""夢""小説と聞くと、好きなキャラクターとの恋愛(本来なら体験することのできない、できない読み手の夢)を実現した二次創作小説という意味が、私の中では強いですね。
  • 最初に読んだ小説がJavascriptによる名前変換小説だったので、そちらのイメージが強い。
  • 作者から、キャラとあなたの物語(として読んでもいい)という意図が、名前変更に込められていると感じるからです。
    夢サイトで「あくまでオリキャラなので名前変更できまでん」という作品をよく見ることも関係している気がします。
  • (1)私は夢を読むときに(読み手としての回答でもありますが書き手としても同じ気持ちでおります)「なりたくても絶対になれない理想の自分」を夢主人公に投影しております。「名前変換ができる」ということそのものが、理想の自分になるきっかけなので名前変換があるものを夢と認識し、夢主と言う形でも名前変換ができないものはオリジナルキャラクターの登場する作品として楽しんでおります。
    名前変換があることで理想の自分になるきっかけとなる、と書きましたが実際に変換するかといわれるとわりと面倒なのでしません。でも名前変換がある場合とない場合で読み方ががらっと変わります。
  • 自己投影が可能なものをそう呼びたいです。二次創作でない夢小説もあるので、そこで名前変換なしがあるとすれば、それはもう普通の小説になってしまうから。
  • 自分が妄想するときは自己投影した「そのキャラに似合う他人(いわゆるオリキャラ)」なので、よそ様の書く名前固定も「その人の夢」として受け入れるけど、最初に「これが夢小説です、ここは夢小説サイトです」として知って読んできたものが名前変換機能付きだったので
  • 初期の夢小説には夢主=自分でもあり、オリキャラとしての夢主が出てきたのは近年だと思ったから。
  • 夢小説という存在を知るキッカケになったサイトさんが、名前変換ありきのサイトさんでしたし、当時は夢主なんてものはメジャーではありませんでした
  • 二次創作の中で唯一自己投影をすることが認められるものが「夢」だと考えているから
  • 変換ができないものは単なる二次創作といえるのではないか、と思う。
  • 変換せずにデフォ名で読む派だけど、名前変換出来るという選択肢そのものが夢主を自分の意識と近づける一種の媒介になってると思います。夢主=自分とは思ってませんが、憑依しやすくするというか。女性向けれん相シミュレーションゲームでも私は名前を変えたりしませんが、最初からヒロインの名前が固定だと購入を躊躇うので、やはり「名付けが出来る」というのは自分が主体となる恋愛ものにおいては大きいのではと思います。
  • 変換機能がないよりはあった方がよい
  • 夢=自分がいてこそ成り立つもの、のため夢主がいるだけなものは単なる二次創作といえる。
  • 夢主=オリキャラでも名前変換ができればいいです。自分にとって愛着のある名前の方が物語が入ってきやすいからです。ただのNLでいいならNLサイトさんの方に行きますね。
  • 夢主がいても名前変換出来ないならそれは自分のオリキャラを投下した二次創作であって、夢小説ではないから
  • 夢主という存在がある小説という認識だが、固定ネームを受け付けなくて、まだ名字名前になってる方が読めるので。
    名前変換小説=夢小説だと思っている。
  • 夢小説→ヒロインなどの容姿などの設定が特にないもの。より世界観に浸れるから。
    夢主という存在がある小説→名前変換小説と読んでいます。夢小説と違ってヒロインなどの設定が決まっていたりする場合はこちらを思い浮かべます。
  • 夢小説は名前の変換をすることに意味があると思います。
    が、現在では、夢主として書いており、夢小説ではなく名前変換小説といった方が近いのかもしれません。
  • 夢小説は名前変換ができる、ということが本質だと思うからです。飽くまでできる、やりたい人はやればいいしそうでない人はやらなければいい。そういう自由度があるのが夢小説だと思います。夢小説はある種読む人、書く人の「夢」なのでそこを厳格に決めるべきではないと考えます。
  • 夢小説は名前変換が出来る夢小説サイトからしか読んだことがなく、名前変換ができない夢小説には馴染みがない為、どちらかと言えば名前変換が出来るもの、というイメージではありますが、夢主という存在があれば名前変換がなくても夢小説だとは思います。
  • 夢小説を知ったのは10年以上前だったのですが、そのときは夢主に外見や、設定などの注意書きがされている小説が少なかったため、夢主に注意書きがあるような小説は夢、というよりもオリジナルの一つのキャラクターだと感じてしまう。
    名前変換するということは読む側の自分や、自分の中のキャラクターに近づけるためなのでは?と思っています。
    書く側が決めてしまうと名前変換が必要なのかわかりません。
  • 夢小説を知った頃、同人のマナーを知るために基礎知識系のサイトを読みあさっていましたが、どこにも大体「名前変換小説である」と書かれていたため。けれど最近では紙媒体で夢本を出す方がいたり、名前変換機能を使えないサイトでそういう小説を公開される方もいるので、結局はその作者が自作品をどうみなしているかだと思います。
  • 名前が変更できなければ、オリジナルキャラであり、夢主人公ではないと思っている
  • 名前のついたオリキャラ小説は「オリ主小説」「SS」として読むので。
  • 名前の通り「夢」の小説なので自分の名前を入力するもよし、自分の脳内で作ったキャラクターの名前を入力するもよしだから両派とも楽しめるから。
  • 名前を変換することで、夢主の内面がより自分に近付くような感覚を覚えるため。夢小説の醍醐味は、他の創作ジャンルに比べて感情移入がしやすいことだと思うので。
  • 名前変換があってこその夢小説だと思うので。
  • 名前変換がある方が感情移入しやすいからです。
    名前が固定のものは別作品の二次創作として楽しみます。
  • 名前変換ができる小説も、夢主(名前変換 有)がいる小説も同じものだと思っています。
    でも、変換ができない小説は、夢主と関係なくオリジナルキャラクターと個人的に思っています。
  • 名前変換がないならそれはただのオリキャラ小説だと思う。わざわざ夢小説に分類する理由がない。
  • 名前変換がなければ「オリキャラ(モブ?)が出てくる小説」と変わりない気がするので。
  • 名前変換がなければオリキャラのお話になると思うので
  • 名前変換が可能で、自己投影の余地があるものだと思いますが、
    夢主がオリジナルキャラクターと言っていいほど設定過多であっても
    私が読んだ時に自己投影や共感が出来るものであれば夢小説だと感じます。
    (小説媒体に限る)
  • 名前変換できなければ、オリジナルキャラと同じだと思うため。
  • 名前変換なくしては夢小説は産まれなかったという認識があるのと、自己投影に名前変換は重要かなとおもうので。

  • 名前変換に慣れ親しんできたから。自分で創作する分には夢主が存在する前提だし、初期設定のまま読むこともあるので名前変換がなくても読むことは可能。
 

夢主と言う存在がある小説(名前変換有無は問わない)    88    39.6%
  •  夢小説を読み始めた初期に、メルマガやブログ等の名前変換が出来ないもので読むことも多かったので、名前変換が出来ないことに抵抗はありません。
  • あまりにも夢主に個性の強い作品は夢小説と呼ばれるなかでも尊敬していて、オリジナルキャラクターとしても見ているがあくまで自身の分身である夢主として見ている。
  • オリキャラが既存の作品に絡んでいくのは夢小説じゃないか、と思っているので
  • キャラクター×自分、という楽しみ方をしないから。
  • ただ単に名前変換ができるだけでは感情移入がし難いから。
  • ネームレスやデフォルト名固定も、作者が「夢小説」といえば「夢小説」
  • もちろん名前変換ができるもの=夢だと思っているのですが、自分が書く際にSSなどは夢主の存在はあるものの名前変換が無いこともあるので。
  • 一時期携帯向けサイトで変換なしの夢小説がはやった時、書き手も兼任していたのでない方が馴染みがあります。
  • 一番最初に読んだ夢小説に設定の濃い夢主がいて、夢小説はこういうオリキャラを混ぜた小説なのかと認識したから。
    後、友人に夢小説を紹介してもらった時も友人は夢主=オリキャラ認識でいたため。
  • 乙女ゲーマーでもあるのですが、乙女ゲームにも稀に名前が変換できないものがあります。でも特に気にしていませんし、私は常にデフォルトで夢小説を読みますしゲームをプレイするからです。
  • 結構夢主を通して、キャラの新しい魅力に気づいたり、夢主自体が好きのなることが多いから?
  • 原作にいないもしくは描写されていないキャラクターと原作キャラクターの創作、及び前者のキャラクターに何か読者作者の願望を代行させることが夢という創作の定義だと思うから。
  • 原作にないキャラクターを、書く側が創作して物語に取り入れることが「夢」というイメージがある。
  • 原作に居ないキャラが登場しているということが重要なのではないかと
  • 最近はオリジナルキャラがいる小説が夢小説なのかな、と……
  • 最初に見た多くの夢小説は大抵夢主の設定が凝り固まったものが多かったから
  • 作者の夢主というオリジナルキャラが作られたことが、夢小説の始まりだと思うからですね
    名前変換は、オマケみたい思っています
  • 作中に出てこなかったイレギュラーな存在が関わっていき、作中になかったエピソードがうまれる。それが夢小説だと考えてる
  • 子供の頃から、童話にオリジナルのキャラクターを足して話の続きなどを想像するのが趣味だったため
  • 私的には夢主であると書き手の表明があれば、夢主=書き手から読み手への自己投影を少なからず想定されたものと思っているので、名前変換をその手段の絶対とせずとも夢主がいる=夢小説かなと思いました
  • 自己投影をして読みません。その世界のイレギュラーな人物が登場し、元々の登場人物との話を読むのが好きです。
  • 自分が初めて出会った夢、というか夢を面白いと思ったものが友人のしていたこのオリキャラ夢主ものだったので
  • 自分でもあり、他人でもあるその話の主人公だからであるから
  • 自分とキャラクターの恋愛が見たいのではなく、原作では語られないキャラクターの日常生活や恋愛が見てみたいという理由で夢小説を読んでいるため。
  • 拍手夢や夢漫画などといったものもありますので、必ずしも変換ができる、という必要はないかと。

  • 便宜上夢主であって、実際には小説の中の主人公じゃなくても、そこに原作にはいないキャラクターがいると認識できたら夢小説と思います
  • 夢主がどんな風にキャラクターと絡むかが大切だと思うからです。
  • 夢小説にハマっていた時、私は未成年の学生だった。
    読みふけっていた夢小説のジャンルも学園ものだったので
    前者(名前変換ができる小説)の認識でした。
    成人に近い年齢になると後者(夢主と言う存在がある小説)になり
    夢小説に限らず恋愛ゲーム、シチュエーションCDでも
    夢主というヒロインがいてそれは私ではない。と第三者の目線で読むようになりました。
  • 名前の出ないいわゆるネームレスも見るから
  • 名前を変換機能を備えていれば尚いいが、自分を投影できるキャラクターが登場する小説が夢小説だと思うから。
  • 名前変換があるというよりもオリキャラを混入した二次創作を見せあえるということ自体が重要だから。
  • 名前変換ができないのは夢ではないし、名前変換をする必要がないもの(元から小説に夢主の名前が出てこないもの)は夢
  • 名前変換できるだけならなりきりと変わらないから。
  • 名前変換できるできないに問わず、オリジナルのキャラクターを自作して作成した物語は一貫して夢小説だと思う。
    要は自己投影であろうとなかろうと作品にはでてこないキャラクターが存在し登場する物語は夢小説(最も近い言い方は夢物語)という認識
    でも最初は、オリジナルキャラクターと作品キャラクターが恋愛しているものが夢小説だと思っていた。
  • 名前変換できるにこしたことはないし、名前変換できる環境にあるものならあるべきだとは思います。
    ただ、それが出来ない場や夢漫画などの場合は、作者が夢です、とさえ主張していればいいと思います。
  • 名前変換は基本的にしません。好きなキャラクターたちが、原作以外の人生を歩んで何を思いどんな行動をとるのか知るための一つの物語という認識です。または原作がこう変わったら(死んだでしまうキャラを救ったり)いいなあという願望の表われでもあります。
  • 名前変換は自己投影のきっかけのように思っています。
    個人的にはオリジナルのキャラクターが、版権キャラと絡んでいたら夢だなって判断しています。
  • 理由兼補足になりますが、私が名前変換の有無を問わないのはたとえ夢主という存在があっても夢主の名前が出てこないいわゆるネームレス小説というものの存在が夢小説の中にも存在するからです。
    なので、名前変換の有無にかかわらず書き手の方が「これは夢小説です」とおっしゃるならばそのように受け止めます。
  • 例えキャラが名前を呼ばないとしても、オリジナルキャラが入るというのは夢小説であると考えています。
  • 例えば夢サイトに設置された拍手のお礼などでは名前変換できずとも上手くぼかして書いている作品があるので、そういったものは含めても良いのではないかと個人的には思います。

  • 恋愛・友情、男性女性に関係なく原作にいないキャラクターが作品の中にいて、話の中心人物として描写されている作品は「夢小説」という認識です。
その他    20    9%
  • どちらでも
    • 作者が夢と主張するなら夢なんです
    • 名前変換できるものこそ夢と言いたいけれど、名前変換は後からでも付けられるし紙媒体など付けにくいものもあるので、作者がこの子は夢主としたオリキャラがいるならばそれは夢で良いと思う。
    • ×名前変換のない=デフォルト名そのまま→夢ではなくオリキャラ二次創作扱い(自分の中で)
      ○名前変換のない=ネームレス小説→夢小説(そういう文体だと理解)
  • ドラマのような感じ
    • 自分のオリジナルキャラかけるそのキャラクターみたいな
      名前も、夢主ではなく自分の名前でもなく、オリジナルの名前で読んでます
  • 両方?
    • 名前変換ができて、夢主というオリキャラがいるというのが夢小説だと思ってます。
  • 名前変換は、読み手がする・しないはさて置いてでも、「できる」という前提があることが夢小説だと思う。
    • 基本的には名前変換ありきだが、名前変換有無を問わず、「私」になり得る女の子が出てくる小説    夢主にしっかりとした容姿などの属性が付加された時点でそれはそのキャラとして確立されてしまって、感情移入出来ないので。名前変換出来たとしても、例えばTwitter等で夢主交流とかしてあるともう完全なるオリキャラと捉えてしまい、「私」にはなり得ないので夢小説として捉えられない。
  • 原作に登場しないオリキャラがストーリーを回す(主人公とは限らない)。また、小説以外の作品も含む。  
    • 現状にできるだけ添いつつ夢という分野の理想にも近いと思っていますが、あくまでわたしの主観です
  • 夢主が読み手とイコール
    • 夢主のキャラが立って一人歩きをするのは「夢小説」ではなく「名前変換小説」だと考えています。「私」ではなく「オリジナルキャラ」。夢小説は文字通り夢を見てるみたいと感じる内容。名前変換小説は物語を含んだ内容。との認識です。
  • 夢主と言う存在がある小説(名前変換有り)
    • 名前変換ができなければ、それは夢小説でもなく、たんなるオリジナルキャラクターのでる二次創作小説。
      名前変換ができない夢主が、最初からその存在が原作に登場して、原作のキャラたちと絡むというのがすごく違和感があり、とても気持ち悪いからです。名前が変換できないのであれば、夢小説というカテゴリーにするのではなく、別なカテゴリーにした方がいいと思います。
      ""夢主と言う存在がある小説""に票を入れたのは、ただたんに名前変換のできるキャラが出るのではなく、夢主にある程度の設定があり存在している方が、夢主のがその作品で一人の人間として生きて存在しているんだなと認識できるから。それで名前変換ができればいうことなしです。でも過剰な設定は感情移入しにくいので勘弁してほしいです。
  • 名前変換ができたりネームレスでも構わないですが「読み手がキャラに恋ができる小説」だと思ってます。
    • 読み手が感情移入できるものが好きだからです。
  • 名前変換は必須だが夢主というオリキャラを突っ込んだ二次創作
    • 夢小説として公開する以上、『名前変換可能』という意思表示を書き手が行っている必要性があると考えるから。しかし個人的には、夢主という柔軟なオリキャラを通して読み手がその世界を覗き込む小説だと考えているから。
  • 名前変換は必須だが夢主というオリキャラを突っ込んだ二次創作
    • 夢小説として公開する以上、『名前変換可能』という意思表示を書き手が行っている必要性があると考えるから。しかし個人的には、夢主という柔軟なオリキャラを通して読み手がその世界を覗き込む小説だと考えているから。
  • その他
    • "あくまでヒロイン≠自分であるが
      ヒロインに感情移入し、もし私がこの世界のヒロインだったら◯◯とこんな恋愛をする、
      と言うのを客観的に読んでいる感じ。
  • その他項目記入なし
    • キャラクターと恋愛ができて変換があるなら夢主の有無は問わないが特定の恋人を作らないでただ変換できる小説はただの「名前変換小説」だと思っています。
      それ以外は夢小説という認識でいいと思っています。ただ名前が変換できないのは夢小説ではないと思います。
    • どちらも重要でどちらかが欠けていたら夢小説とは思えないです